運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
212件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1988-10-06 第113回国会 衆議院 農林水産委員会 第1号

また、我が党においては、十月三日には我が党の保利農林部会長を筆頭に岩手、青森関係各県に現地視察されまして、私もそのメンバーの一人として青森県内を同行させていただきました。さらに、我が党は十月四日には伊東総務会長本部長とする冷害等農業災害対策本部を設置しておるところでもあります。

木村守男

1980-11-26 第93回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号

当時の保利農林大臣は、亀岡大臣と同じように現地に赴かれまして、そのことを十分理解をされ、五百円の追加払いがされたわけであります。二十九年にも生産奨励金八百円追加が出されておりますが、そういう事態を踏まえて、農家の心情である助成、そういうことから考えてこれらも取り入れるべきではなかったのか、こういうふうに私は思います。

野坂浩賢

1974-02-21 第72回国会 衆議院 予算委員会 第19号

それがいまの二十九年の保利農林大臣のときの特例法で入れることになった。それはなぜか。この人たち基幹要員だからです。そのときに、これは基幹要員だ、これをはずしたら、ちょうど郵便事業で集配を除けば郵便事業が成り立たないように、伐採、植林をやるのはこの人たちだ、だからこれは基幹要員だから定員化しなければならなかったのですが、本人たちもわからない。

湯山勇

1961-09-01 第38回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第5号

原君がずいぶんがんばりましたが、保利農林大臣はどうしても出すんだ、こういうて保利さんはがんばられた。そこで原君を私らもつるし上げたが、人間が、かりに流行病におそわれるならば、いやだというのに注射を打つじゃありませんか。しかるに病虫害という流行病がこれからはやるというのに、しかも災害のあとにそういうものが出てきておる。こういうことをほったらかしておいておる。

清澤俊英

1959-11-17 第33回国会 衆議院 災害地対策特別委員会農林水産等小委員会 第2号

がしかし、従来私どもは保利農林大臣の際に、制度改正審議会を作って三カ月余にわたって熱心な検討をやった、そして、その中間答申もやって政府にそれをお示しをし、検討を求めたのでありますが、その後、今日までそのままになって実現しておらない、こういう経過から見まして、要は、事務家が寄っていろいろ検討して、そのものの上に調査会を設けるというようなことではなくて、これは長い間の経緯と、それから異常な風水害によってこの

足鹿覺

1958-03-27 第28回国会 参議院 農林水産委員会 第22号

これまでも前の保利農林大臣のときも私お伺いしたのでありますが、今この普及員じゃ足らぬじゃないか、少くともこの倍にしなくちゃいかぬじゃないか、倍にしてあの現在の高度の技術を涵養していただく、普及していく。今の普及員はそれは一括してあるところに普及所を設けて総括的な指導をしてもらうのはいいですけれども、それから引き継いだ町村別の、昔の町村別です。

上林忠次

1956-09-11 第24回国会 衆議院 農林水産委員会 第54号

この前の保利農林大臣のときにも、もし今後豊作ということがありますならば、直ちに生産県における配給日数を増加することに私は確約いたしますということを、この席上で言明になっておるのであります。これは復元することが正しいことであると私は思っておる。ところが先刻来申されておりますように、豊作気がまえでありますならば、当然生産県に対しましては十五日を十八日に復元することが第一の道であると思っております。

井手以誠

1956-02-15 第24回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号

その生産費調べの方も勘案してそういう指数の上に立って当時の保利農林大臣は御決定になったと思うのであります。ところがその当時はなかった。二十九年の決定に基いて生産費調査を始めるようになったから、三十年米価決定に当っては、この指数も十分勘案して三十年度の米価をきめた、これは御承知の通りであります。

河野一郎

1956-02-10 第24回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

もちろん完遂奨励金あるいは税金引き当て分、その他超過供出奨励金というような奨励措置は行われたようでありますけれども、基本的には今申しますような非常な低米価決定を見ておりまするし、さらにまた米価審議会におきましては保利農林大臣が、そのバック・ペイについても、当然これを支払う義務があるであろうということを申しておるわけであります。

石田宥全

1955-12-10 第23回国会 衆議院 農林水産委員会 第7号

しかも昭和二十九年十二月二日に時の保利農林大臣の名によって、これは大臣指令として出ておるのです。その一は、「当分の間毎年一月一日から六月三〇日までの間はこシンを採捕してはならない」。ということをうたっておる。そうしてそのうしろの方へ持ってきて、三に「前二項の規定は一航海当り漁獲量が一〇〇貫を超えない場合には適用しない」。ということをいっておる。

芳賀貢